scrap paper – PKO

2017スーダン

戦闘行為まきこまれる?フリージャーナリストへの情報開示、迷走?

2016.11 駆けつけ警護 付与
2017.3 5月に派遣終了を表明

日報ある、ない ごたごた

2017.3 隊員5名が政府軍に一時 拘束 「武器所持の誤解」解放
*当局治安維持隊によるPKO活動等への恣意的拘束も増加中?


ヒポポタマスの沼地から

今日は「じゃがいも」について・・・

2017.4 アジア:北海道、じゃがいも不作。某お菓子 一部販売休止=ジャガイモ不足

2017.4 中東:シリア、食糧不足 葉っぱを食べる 都市封鎖

倉庫ぐらし

参考:アイルランド じゃがいも飢饉1845

じゃがいも飢饉
ゴッホ画(ネットより) じゃがいもを食べる人々

うふ2 記。

メモ:
さて今年は「アラブの春」。若者のデモによってチュニジアで大統領が逃げ出したのに続き、エジプトでも大統領が倒れ、イエメン、バーレーン、リビア、シリアに独裁者打倒の波が広がった。わが隣人がこの「春」をどう迎えたのか、話を聞くのが楽しみだった。ネット記事

ajenda

世界から称賛を浴びた衝撃的なスピーチ

2012年に開催されたリオ会議(地球サミット)でのスピーチで、ムヒカ大統領の名は世界中の人々に知られることになりました。

我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことをわかってほしいのです。根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。そして改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。

この演説は全世界から絶賛され、その後の各国の政治的リーダーが集う国際会議での議論の変換にも大きく影響しました。

scrap paper – police news

朝日新聞デジタル

ロシア人男性に無罪判決 北海道警「おとり捜査」再審

坂東慎一郎

2017年3月7日13時44分
 北海道小樽市で約20年前に銃刀法違反容疑で現行犯逮捕され、懲役2年の実刑判決を受けて服役したロシア人のアンドレイ・ナバショーラフさん(47)の再審公判で、札幌地裁(中桐圭一裁判長)は7日、無罪とする判決を言い渡した。検察側は2月23日の初公判で有罪を求める立証をせず、論告でも無罪を求刑していた。

平成28年1月27日(水) フィリピン大統領閣下主催晩餐会における天皇陛下のご答辞(大統領府)

平成28年1月27日(水)
フィリピン大統領閣下主催晩餐会における天皇陛下のご答辞(大統領府)

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貴国と我が国との国交正常化60周年に当たり,大統領閣下の御招待によりここフィリピンの地を再び踏みますことは,皇后と私にとり,深い喜びと感慨を覚えるものであります。今夕は私どものために晩餐会を催され,大統領閣下から丁重な歓迎の言葉をいただき,心より感謝いたします。

私どもが初めて貴国を訪問いたしましたのは,1958年12月,ガルシア大統領御夫妻が国賓として我が国を御訪問になったことに対する,昭和天皇の名代としての答訪であり,今から54年前のことであります。1962年11月,マニラ空港に着陸した飛行機の機側に立ち,温顔で迎えて下さったマカパガル大統領御夫妻を始め,多くの貴国民から温かく迎えられたことは,私どもの心に今も深く残っております。この時,カヴィテにアギナルド将軍御夫妻をお訪ねし,将軍が1898年,フィリピンの独立を宣言されたバルコニーに将軍御夫妻と共に立ったことも,私どもの忘れ得ぬ思い出であります。

貴国と我が国の人々の間には,16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ,マニラには日本町もつくられました。しかし17世紀に入り,時の日本の政治を行っていた徳川幕府が鎖国令を出し,日本人の外国への渡航と,外国人の日本への入国を禁じたことから,両国の人々の交流はなくなりました。その後再び交流が行われるようになったのは,19世紀半ば,我が国が鎖国政策を改め,諸外国との間に国交を開くことになってからのことです。

当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが,その支配から脱するため,人々は身にかかる危険をも顧みず,独立を目指して活動していました。ホセ・リサールがその一人であり,武力でなく,文筆により独立への機運を盛り上げた人でありました。若き日に彼は日本に1か月半滞在し,日本への理解を培い,来る将来,両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。リサールは,フィリピンの国民的英雄であるとともに, 日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。

昨年私どもは,先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては,貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷つきました。このことは,私ども日本人が決して忘れてはならないことであり,この度の訪問においても,私どもはこのことを深く心に置き,旅の日々を過ごすつもりでいます。

貴国は今,閣下の英邁な御指導のもと,アジアの重要な核を成す一国として,堅実な発展を続けています。過ぐる年の初夏,閣下を国賓として我が国にお迎えできたことは,今も皇后と私の,うれしく楽しい思い出になっています。

この度の私どもの訪問が,両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資することを深く願い,ここに大統領閣下並びに御姉上の御健勝と,フィリピン国民の幸せを祈り,杯を挙げたいと思います。

平成29年2月28日(火) ベトナムご訪問(タイお立ち寄り)ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)

平成29年2月28日(火)
ベトナムご訪問(タイお立ち寄り)ご出発に当たっての天皇陛下のおことば(東京国際空港)

この度,ベトナム社会主義共和国のクアン国家主席閣下の御招待により,皇后と共に,同国を初めて訪問し,その帰路にタイ王国を訪れます。

ベトナムからは,2007年にチェット国家主席を,2014年にサン国家主席を国賓として我が国にお迎えし,また,私どもに対してベトナム訪問の御招待を重ねて頂いておりました。この度の訪問においては,首都であるハノイにおいて歓迎式典を始めとする公式行事に臨み,日越の交流に携わる人々との会合の機会を持ち,その後,古都であるフエにおいて,ベトナムの歴史に触れることが予定されています。私どもの訪問が両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資することを願っております。

また,昨年10月に崩御になったプミポン国王陛下と私どもは,半世紀を超える親しい交流を重ねてきており,帰路タイを訪れ,同国王への最後のお別れをし,新国王ワチラロンコン陛下に弔意を表したいと思っております。

内閣総理大臣を始め,この訪問に心を寄せられてきた多くの人々に深く感謝いたします。