オーストラリア カウラ捕虜収容所 のこと。

第二次大戦末期の 日本兵脱獄 死亡事件のこと

なにやら終戦前に けっこうたくさんの捕虜の日本兵がなくなってしまった話。

処遇がわるいとか、体罰されたということではない様子。それどころか、労役もなく治療もしてくれて、食事の文句を言うとすぐに魚料理がでてきたり、クリスマスは七面鳥はないけれど鶏で特別にお祝いしたり、野球をしたりしていたらしい。重病者へ最後に食べたいものがあるか?パイナップル。パイナップルはなかったけれど缶詰の汁だけならあった、などというくだりは 日本の正規の軍隊でも考え難いような。

脱獄時もオーストラリアの見張り兵はけっして心臓をねらわず、足元を撃っていて、それより先に進めないようしつこく撃っていたということである。号令のもと一斉に進んだために足元を撃たれたようである。

なお狙撃兵は脱獄兵により突き落とされてしまったもよう。

いきてりょしゅうのはずかしめをうけず のため脱獄したそうである。

なお脱獄のきっかけは 日本軍は命令で動くので 上官と下士官とをべつべつにわけて管理しようとしたことがきっかけとのこと。

さらに、捕虜となった兵隊は 本名や出身をいつわっている場合が多いようで、戦没者として探すことが難しい一因となっている模様。

決戦用の手りゅう弾で オクニノタメ を唱え起爆するも、爆弾の劣化で爆発しないことがままある様子。



語りべの方々も「天国」とよんでいる。

しかし、日本軍の「教え」ルールにしたがえば、生きて帰ることはできないため

しぬるために だつごくをくわだてた というところが事実のようである。

運でいきのこったかたりべのかたも、今では想像できないようなことが当時は普通だったのだ、ということである。

今でもなのりでることを嫌う生き残りの方々もいる ということである。


一概に捕虜 といっても

似島 や カウラ

モンテンルパ や シベリア

ちがうものなのかなぁ、といった印象をうける。

同じ日本軍でも 規律を守る部隊もあれば 泥棒のような部隊もあり 隊長によるものなのか・・・ この件でも 九州の出身は理不尽によく殴る、ということである。非常に興味深い。日本兵であったときよりも捕虜のほうが医療食事が満たされるという話。

規律違反には厳しかった。それでも罰は三日間水と乾パンとか、その程度の模様

治療の甲斐なく亡くなった日本兵が担架で運ばれる際にも 脱帽し哀悼してくれていたというくだりもある。部隊によるのかしら。